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「思慮深いまなざし」ちょっとEお話Vol.3

こんにちは。 Shinjiです。

ちょっとEお話のVol.3です。

聴き方を変えること、それは自分をありのままに受け入れること。
それは人の人生を大きく変える力がある。
でも、自分を受け入れることは、なかなか難しい。
そこを超えると、新しい世界が待っている。
今回も、そんなことを考えさせられるお話です。



今回は、神津カンナさんという文筆家の方のお話です。

彼女は、お父さんが作曲家の神津善行氏、
お母さんが女優の中村メイコさんで、
小さい頃は天才子役として演劇の世界でも有名でした。

そのカンナさんが文筆家になったきっかけの話です。
ちょっと長いですが、よかったら読んでみてください。



「思慮深いまなざし」

     神津カンナ「うちポケットの原石たち」(集英社)



カンナさんがはじめて新聞社のコラムを書く仕事をしたとき、
何回、何十回とエッセイをつくって持っていっても、
編集長はうんといわない。

それどころか、だんだん目がつりあがってきて、
「こんなもんで、金がもらえると思っているのか。
 人はね、お金払って新聞を買う。
 お金を払って記事を買う。
 お金を払って文章を買うんだ。
 お金を払ってまで読みたいと思うような文章を一度でも書いてみろっ!
 お前の文章はお金を払ってでも突っ返したい文章だっ!」
と、編集長は自分のポケットから千円札を出して、
カンナさんの原稿の上に置いて返した。


さすがにがっくり落ち込み、疲れ果て、
自分には才能がないんだ、
それじゃ、もう書くのやめよう。もう、やめた。
完全にやる気をなくしたそうです。


家に帰って、そのことをお父さんに話しました。
カンナさんのお父さんは現役の作曲家。

カンナさんは、お父さんには音楽家としての才能が、
初めからあったと思っていました。


ところが、お父さんはこんな話をカンナさんにしたそうです。


カンナさんのお父さんが小学校四年生のとき、
日本はまだ戦争中でした。

軍から命令があり、
音楽優秀なものを20名選んで、
少年軍楽隊を作れ、という指令が小学校に来た。

小学校の中まで軍国主義を浸透させようという意図だったそうです。
お父さんは、その候補を選ぶ試験で、四年生なのに、
五年生、六年生をさしおいて一番になった。

つまり、学校中で音楽が一番だったということでした。


お父さんが音楽家になったあとに、
小学校の同窓会があった。

そこに出席したときに、
まっさきに音楽の先生のところへお礼にいった。


「先生、ありがとうございました。
 先生がぼくの才能を発掘してくれたおかげで、
 ぼくは音楽家になりました」


すると、その先生は持っていた杯をパタッと落として、
「きっ、きみは、それで飯が食えているのかっ?」
と訊いてきたそうです。


お父さんは、
「ええ、まあ、なんとかやってます。」
と言うと、先生は、くーっと目が涙でいっぱいになって、
ウワっと泣きはじめた。


「戦争の痛手が、いまだ、こんなところに残っていようとは!」
お父さんはわけが分からない。
「神津くん、気を確かに持って聞いてくれ。」
と、先生は話し始めたそうです。


軍からお達しが来たとき、
学校の先生は、みんな反対だった。
戦争中、子どもたちはみんな栄養失調で、
軍隊などに指導されてラッパなんぞやらせたら、
みんな胸を悪くしてしまう。


当時は、胸を悪くしたら死につながっていた。

子どもを死に追いやるなんてもってのほかだ。

だけど、軍の命令には逆らうことはできない。

なんとかしなければ。

そこで、ちょうど身体測定が学校であった。
肺活量の多いものから20名選ぼう、ということになったそうです。


音楽の試験は一応やったらしいのですが、
それはまったく関係ないものとして、
つまり、お父さんは、
音楽の才能ではなく、肺活量で選ばれた、ということなのです。

肺活量を測定するとき、
恐い先生が目の前でいんちきをしないように見張っている。

お父さんが、もうだめだと思ったとき、その先生が、
「ふぇっ、ふぇっくしょん!」
とくしゃみをしたそうです。
一生懸命やっているときに大きなくしゃみをされたんで、
びっくりして、肺活量計の口を離して、
思わず鼻から外の空気を吸っちゃったんだそうです。

そしたら先生は、照れくさかったのか、
「こらっ、ちゃんと吐け!」
しょうがないから、
さっき外から入っちゃった空気をもう一度吐いてしまった。

お父さんは、小学校四年生にして、
巨大な肺活量になってしまった。

ということは、
お父さんは、音楽の才能ではなく、
肺活量で一番になって、
しかも、
その肺活量はいんちきだった。

お父さんをそれを知って、そうとうショックを受けたそうです。
もう音楽をやめよう、と三ヶ月くらい、まったくやる気をなくしてしまった。

でも、その間にお父さんは考えたそうです。
確かにぼくには才能がなかった。

じゃあ、なんで音大に入れて、音大を卒業できて、
ぽつりぽつりだけど作曲の依頼も来るようになったんだろう。

そう思ったときに、
ああ、ぼくには才能はなかったけれど、
音大に入れるくらいの才能は作れた。

それじゃ、三つ、四つ、十個、二十個、三十個の作曲の才能も、
もしかしたら作れるかもしれない。


話しのあと、お父さんはピアノの下からカステラの箱を三つ出して来たそうです。

その中には、ちっちゃい、ちびた鉛筆がどっさり入っていた。

お父さんは、カンナさんの顔を見て、
「ぼくは、自分に才能がないから、
 自分で才能をつくらなければ人と勝負できない。
 だから、仕事がないときでも必死で作曲して、
 自分の才能を一所懸命つくった。
 その目安にしようと思って、
 鉛筆がちびるとその箱に入れていったんだ。
 きみは、ものを書く才能がないから、
 もの書きになるのをやめると言っているが、
 いったい、鉛筆を何十本くらい使ったんだ」


カンナさんは、そのとき、鉛筆一本半くらいしか使ってなかったそうです。

さすがに、何も言えなくなってしまった。


お父さんは続けました。
「君が才能がないなんていうのは、ぼくに言わせれば、不遜な態度だ。
 きみは、そんなに才能があるとでも思っていたのか。
 なんにも努力しないで、
 素晴らしい文章が書けるとでも思っていたのか。
 才能がある人なんて、何万人に一人しかいない。
 才能の無い人は、自分で才能を作るしかない。
 才能というのは、本人が才能をつくる気があるかないかで決まってくる。
 自分にものを書く才能がないというんだったら、
 カステラの箱一杯分くらいは鉛筆を使ってからいってくれ。
 そのとき改めて相談に乗ろう。」


カンナさんは目から鱗、だったそうです。


自分は勘違いをしていた。

自分は、三島由紀夫か志賀直哉か夏目漱石かしらないけれど、
ものすごい才能のある人と混同していた。

私は違うんだ。

私は自分で才能をつくっていくんだ、
ということに気が付いて、
それを原稿に書いた。

翌日、新聞社に持っていったら、編集長が、
「いいじゃないですか。
 こういうのを書くんですよ。」
と初めて言ってくれたそうです。


カンナさんは言ってます。

「才能がないと気が付いたということは、
 非常にラッキーなこと。
 誤解をしたまま、あとで気がつくよりも、
 早いうちに気づいて、
 才能をつくるということに頭を切り換えていけば、
 才能というのはどんどんくっついてくる。
 私は、文章を書くことによって、
 自分のなかに才能をつくっているんだ。
 そういう気持ちで仕事をしています。」




才能はもって生まれたものではなく作るものだ、
とい言葉に心を打たれます。

私などは、つい、
うまくいかないことを他人と比較して、
あの人は才能があるから、とか、
自分には人と比べて才能が無いからしょうがない、とか、
いくらでも弁解の言葉を並べ立ててしまいます。


カンナさんのように、
自分が自信を持って提示した仕事を、
けんもほろろにダメだしされたら、
きっと私も相当落ち込んで、
しばらくは立ち直れないかもしれません。


では、
そのようなとき、
砕け散りそうな心を更に奮い立たせて、
前へ進んでいくにはなにが必要なのでしょうか。


才能は自分で作るしかない、
君は自分の才能を、本当に作る気があるのか?


この声を、
自分自身に発して、
常に聴くしかないのかもしれません。


常に、自分に対して、
本気でやる気があるのか、
と問い続けるのは、
結構しんどいことのような気がします。


でも、自分の道は、
自分でしか作れないのなら、
何度失敗しても、何度ぬかるみに足をとられてころんで泥だらけに成っても、
身動きできずににっちもさっちもいかなくなっても、
自分で動き出さない限り、
誰も助けてくれないのだろうと、
このお話で感じます。


反対に、
何度壁にぶつかっても、何度踏み潰されても、
諦めずに自分の道を進むなら、
もしかしたら、
思ってもみなかった人が助けてくれるかもしれません。


ただ、一つだけ、大切なことがあると感じます。


それは、
何のためにそれをするのか、
自分はその道を作ってどこへ行きたいのか、
それを自分自身で持っていなければ、
助けてくれる人も居なくなるかもしれません。


その道が、孤高の道であっても、
あきらめずに坦々と信念を持って進んでいけば、
いつか自分の思いが、
その道の行く手をはっきりとした形にしてくれて、
その道を進むのを誰かが助けてくれるのかもしれません。


それを成し遂げるために、
自分のありのままの姿、心を、
常に聴き続けることが必要な気がします。


今回も最後までお読みいただき、
ありがとうございました。



うちポケットの原石たち
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体

プロフィール

Shinji

Author:Shinji
聴き方アドバイザー。なかなか自分のことを話す機会がない人たちの話を聴いていると、ある人は涙を流し、ある人は怒りだし、でも、最後にはしばらくだまって、本当の自分を受け入れだす人をみて感激します。人は皆、それぞれの小さな物語を持っていて、自分の存在意義を、人のことも自分のこともよく聴くことで気づくんだと感じています。企業で20年以上、様々な研修や人材開発に携わってます。人を育てることは、自分自身を育てることと同義だとつくづく感じております。私のつたない経験が、これから人を育成する方々に、そして、少しずつでも自分自身を受け入れながら、勇気を持って自分の人生を歩んでいきたいと思っている方々の人生に、少しでもたしになればこんなに嬉しいことは無いと思っています。薬剤師。TMA公認カウンセラー。

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